『Acoustronica』レビュー
<リサゴーについての愉しい考察>

年を取ると、シンプルになる。
こだわりの数に押しつぶされそうだったり、
あれもこれもと欲張ってばかりいたものが、
案外どうでもよくなってしまう。
それは、己をよく知ればこそ。
自分にとって必要なものと不必要なものを見極められるから、
あれこれ迷ってグチャグチャしなくて済むわけなのね。
でも、生きるための荷物が少なくなるわけじゃない。
むしろ逆。
ふつう、人間てのは年とともに色々増えてくもんだ。
シワでしょ。
白髪でしょ。
中性脂肪、コレステロール、その他諸々の体内数値。
知識も経験も増えるから、
許せることも受け入れられることも増えるし、
語彙の増殖に比例して、言いたいこともわんさか。
そうだよ、だからオトナは小言や説教が多くなるんだよ。


トコロガ。

ところがー!


私が15年ほど前からよく知るリサゴーという人は、
妙なまじないでも唱えているのか、
人間としての年輪的なものが一向に増えないわけ。
見た目、シワもなさそうだし。
身長も体重も増えてなさそうだし。
食事量もそう変わらないように見える。
むしろ色々スリム化してるみたい。
不純なものとの衝突をしなくなった(面倒くさいということがわかったから)。
音楽をやる理由とかナントカ、
ゴチャゴチャしたテレパシーを送らなくなった(体力を消耗するから)。
雨ニモ負ケテ、風ニモ負ケルくせに
炎天下のランチに誘うとノコノコやってくる(思考の無駄遣いもやめた)。
さらに炊飯器も電子レンジも持たない。
なんてエコな女なんだ、リサゴー。



『Acoustronica』だってそうだよね。


削って削って、極限まで肉をそぎ落として、
最後に残ったしなやかで白くてきれいな骨が、
実はリサゴーという音楽そのものだった。
わたし、ホントはすごーくビックリしたの。
「実はリサゴーは音楽が嫌いで嫌いで仕方なくて、
だからこそ音楽をぶっ壊すように歌ってるんだ」と思ってたし、
「でも時々、うっかり自分もぶっ壊しちゃう」アホだとも思ってたから、
あんな風に至極簡潔に音楽への愛情を示されると、
思わず面食らっちゃう。



こないだ、久しぶりにライブ観たときにも思ったんだ。
リサゴーは最近、歌うことが好きなんだなって。
音楽的アプローチがシンプルになればなるほど、
言葉や歌がソリッドに感じるようになるから、
チクチク、グサグサ、ブスブスと刺されて痛い。
でもそれは、リサゴーが知ってか知らずか、
聴き手のイマジネーションに委ねる隙間を楽曲に残しているからなのね。
ほら、そんなところでも、
リサゴーは自己負担を減らしたわけ。
「説明なんか、してやんねー」
ま、音楽の在り方としてそれは正しいな。
職業的観点から(あ、わたし、音楽の原稿屋なんです)、
ヨシヨシしてやる。
いい子いい子してやる。



新譜はどんな感じかな?
まだ貰ってないのは、手渡しされることに決まってるから。
そうすることで、美味しいものを食べる理由ができるから。
あ、そうか。
リサゴーにも年々増してるものが1コだけあったね。

それは、



美食への欲求!

原稿屋@斉藤 ユカ